大学受験

2005年09月24日

2月は6日から21日まで2・3日おきに計7校受験した。
1校3万円程の受験料だから経済的な負担は大きい、チャンスを多く与えてくれた親に感謝しなければならない。

受験する大学のどこに合格しても万々歳の結果ではあるが、出来るだけ難易度の高い大学に合格してやろうと意欲が出てきて、合格するための勉強を続けた。

さて結果は、

明治大学(政経・政治、偏差値63)×不合格
法政大学(法・政治、偏差値62) ×不合格
成蹊大学(法・政治、偏差値61) ×不合格
駒澤大学(法・政治、偏差値57.5)◎合格(入学)
専修大学(法・法律、偏差値56.5)○合格
東洋大学(法・法律、偏差値56) ○合格
亜細亜大学(法・法律、偏差値55)○合格

六大学には届かなかったけど大満足の結果だった。
結果を分析すると、年明けからのラストスパートで偏差値60弱くらいにはなっていたと思う。
年明けからは答案作成能力の向上に徹したので、こつこつマシーンの様に基礎力を養った努力が実って本当に嬉しかった。
やはり、明治・法政は問題が難しかったし、受験生のレベルも高い。
成蹊は英語が難しかった。国語と日本史はかなり出来たので、「もしかしたら合格するかも」と思ったがダメだった。

10ヶ月程度の受験勉強では時間が足りなかった。
でも時間があっても直前期の一日14時間の勉強をこれ以上続けることは体力的にも精神的にも無理。短期間の勝負だからここまで出来たのかもしれない。

今まで勉強ばっかりしている奴を馬鹿にしてきたが、机に向かってコツコツ勉強することは凄いと実感した。欲を抑えて勉強を続けることは、並大抵のことではない。
少なくとも中学高校時代の私には無理だったし、興味もなかった。

しかし私にとっては、これまで何か一つの事に打ち込んで目標を達成した、ということを経験したことが無かったので、とてもいい経験になったと思う。
バイク事故を起こして人生が変わった。人生は何が起こるか分からない。

後日談(自慢話でスイマセン)
◎予備校では躍進率というのがあり、現役の時に不合格になった大学の最低偏差値と、浪人してから合格した大学の最高偏差値の差が、私の場合13.5だった。希有な例だそうで、予備校から情報誌に合格体験記の寄稿依頼があり書いた(原稿料5千円)。
◎出身高校からも合格体験記の寄稿依頼があり書いた(先生から寿司をゴチになる)。
◎出身高校から講演依頼があり大学受験を目指す後輩に1時間程話した(聴衆数人、テレホンカードを貰った)。

こうして自信過剰野郎が誕生したのだった・・・。


おわり

※現在は自信喪失野郎に成り下がりました。まぁこれからだよ。気楽にいこうぜ。


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以前から欲しかったガラスのりんごを購入。
適度な大きさでインテリアとして丁度いい。
本日の広島弁講座
「かばちをたれる」→生意気な事を言う、文句を言う
用法:「何にゅーかばちをたれとるんや!?」→何か文句あんのかコラ!
間違ってる?コメント求む。

at 00:30コメント(1) 

2005年09月21日

本格的な入試シーズン前の11月に、東京国際大学(経済学部国際経済学科、偏差値53)給費生試験を受験した。
給費生試験というのは、上位の成績で合格すれば奨学金が貰えるという試験。
ただ、給費生に採用されなくても一般合格者として合格することもできる。

「東京」国際大学といっても、品川区の実家から1時間半以上かかる埼玉にある大学だ。
実力テストの成績から客観的に見れば、実力以上の大学といえよう。
しかし、合格するつもりで勉強した。
赤本にて問題の傾向を徹底的に分析した。
試験直前に過去問を解くと、自己採点で合格点を超えることができた。
数ヶ月間、基礎力を養ってきたが、その効果がやっと現れてきたかなと実感した。
過去の倍率を見ると倍率3倍程度。やるしかない。

さて試験当日。
手応えがあった・・・。
自己採点でも合格点はギリギリ超えたかな、と。

結果、一般合格!
すごく嬉しかった。
今年2月に亡くなった祖母も、泣いて喜んでくれた。

母には、不合格と嘘をついて後でビックリさせてやろうと思った。
本気で落ちたと思ったらしく慰めてくれたので、引っ込みがつかなくなり、すこし引っ張った。
引っ張りすぎて、合格したと言っても中々信じてもらえず、喜びを半減させてしまった。

この合格は大きかった。
自分の実力以上の大学だったが、とりあえず滑り止めを確保。
結果、東京国際大学より下位の大学を受験しなくて済むので、より上位を目指して精神的に楽な状態で受験に突っ走ることができる。
2月の受験校は、当初の予定より大幅に変更することになった。

冬期講習は、調子に乗って「明中法(明治・中央・法政)対策講座」を受講していた。

この頃、志望学部・学科が経済から政治に変わった。
落合信彦の本を愛読していたので国際政治には興味を持っていたが、小沢一郎の「日本改造計画」を読んで本格的に政治に興味をもった。
丁度、自民党が下野して細川連立内閣が成立した時期で、ダイナミックに変わりつつある政治を勉強したいと思い、志望校は政治学科を中心に受験することにした。

平成6年(1994)の年が明け、アウトプットトレーニングを中心に2月に向けてラストスパートを始めた。1月は1日14時間は勉強していた。

さて、いよいよ受験シーズンの2月を迎えることになったが結果は・・・。

その6につづく


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久しぶりに田んぼを見たら、稲が成長していた。
もう秋ですね。

本日の広島弁講座
「めぼ」→ものもらい
こっちの人は「めぼ」が医学用語だと思っている。

at 00:32コメント(0) 

2005年09月20日

浪人生活。

とはいっても実質10ヶ月しかない(4月~1月)。
10ヶ月で本当に大学に合格できるのだろうか?と不安もあったが、とりあえず一日一日を大事に頑張るしかない。

「私立文系基礎コース(英語強化)」という最低レベルのコースに入った。
何しろ中学高校と殆ど勉強しなかったので、一般人以上に努力をしないと「大学受験レベル」に到達できない。
まずは基礎から固めないとならないので勉強漬けの生活を覚悟した。
「その日の授業で勉強したことは、確実にその日の内に消化すること」をモットーに、予習復習にいそしんだ。

10ヶ月間マシーンの様に勉強した・・・。
行き帰りの地下鉄の中で英熟語と英単語を毎日欠かさず本がボロボロになるまで繰り返し暗記した。
休み時間に英単語を一つでも多く覚えるため、時間がもったいのでタバコをやめた。
※未成年はタバコを吸ってはいけません!(未成年喫煙禁止法1条)
ペースを乱す飲み会は断った(浪人中数回しか飲まなかったと思う)。
※未成年はお酒を飲んではいけません!(未成年飲酒禁止法1条1項)

国語・英語・日本史の3科目とはいえ基礎力が絶対的に不足しているので予習復習は大変だった。
予備校に入って初めて英語の関係代名詞をきちんと勉強した(実話)。
ただ、確実に授業内容を消化することで、一歩一歩着実に基礎力を固めている実感はあった。

例外は古文・・・。
基礎の基礎を勉強していないので、いかに「基礎コース」といっても授業についていけなかった。
これじゃマズイと思い、夏休みに超基礎参考書を買って集中して独学で勉強したら、後期から授業内容もよく理解できるようになり得意科目になった。
古文は結構面白い。理解できると数百年前の人が書いた文章がスラスラ読めるようになる。
その道に進もうかと思ったくらい面白くなった。

夏休みにコース変更の機会があり、「私立文系選抜クラス」を受験したら合格した。
選抜コースの中では一番下のクラスだが、以前の基礎クラスより8つクラスがランクアップした。
テキスト等が選抜コース向けになったが、何とか付いていく事ができた。

選抜コースといっても「日東駒専」(日大・東洋・駒澤・専修)に合格できれば万々歳という目標のクラスだった。
ちなみに以前の基礎コースは「大東亜帝国」(大東文化・東海・亜細亜・帝京・国士舘)に合格できれば万々歳クラス。
ただクラスの設定目標大学はあくまで目標であって、選抜コースのクラス担任が「現実的にはこのクラスの半分以上がどこの大学にも入れないでしょう」と言っていた。予備校的にはどうかと思う発言だが、現実はその通りだ。

マシーンの様な生活を続けてたら、予備校では結局一人も友達が出来なかった(ていうか作らなかった)。話している時間も惜しかった。ターミネーターのような雰囲気の奴だったと思う。
成績の方は、授業の消化に精一杯で、アウトプットが追いつかず実力テストでは偏差値50を超えることはなかった。
志望校を適当に「駒澤」とか「大東文化」とか書いたがC判定を超えることはなかった。
わずかに二部(夜間)の学部がB判定くらいだった。

平成5年(1993)の秋も終わりが近づき、大学によっては入試(給費生試験=奨学金付きの特待入試))を行うところもあり、11月に1校受験してみることにした。

さてどうなることやら・・・。

その4につづく


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今日の夕食は大学院の友人とお好み焼き・もんじゃ焼きの「月島亭」へ。大学から車で10分弱の距離。広島風ではなく関西風。東京で一般的に食べてるのは関西風なのね。
本日の広島弁講座
「めげる」→壊れる。
用法:「それ、めがしとってよ。」→それ、壊しておいてよ。
違う?コメント求む。

at 02:24コメント(0) 

2005年09月19日

平成5年(1993)の年が明け、受験シーズンがやって来た。
と言っても、浪人が前提だったので甘えてしまい、余り腰を入れて本格的な勉強しなかったせいか、実力は大学受験レベルには程遠かった。

受験校を決めるに当たり、
①受験科目に古文がなく
②経済学部
を考慮に入れて3校を受験することにした。

古文は全く勉強してないので無理。
経済学部は、中学時代から落合信彦の本を愛読していたので、漠然と国際商社マンに憧れていたからという単純な理由。

この頃何を受験勉強したか殆ど覚えていない。
赤本(大学別の過去問)くらいは手に入れて問題解いていたと思うが、絶対的な基礎力が無いので分からない。
結果、大した勉強はしてなかったと思う。
何よりも浪人前提という甘えん坊野郎なので、何が何でも合格してやるという気迫は無かったと思う。

そんなこんなで受験した結果
東京国際:経済(偏差値52)不合格
東京国際:教養(偏差値52)不合格
明治学院:2部経済(偏差値47)不合格
国士舘:2部政経(偏差値44)不合格
まあ、当たり前の結果だった。全然手応え無かったし。 

いくら末端都立高校のクラスで一番になろうが都内最低ランクにも歯が立たない。
団塊ジュニアの我々の世代は、受験者数も多く、「大学に合格する」には「一定の努力レベル」が必要で、生半可な気持では合格できない事を思い知らされた。

さて3月に入り浪人が決定し、大学受験予備校選びを本格的に始めた。
兄が一橋予備校に通っていたので候補にしていたが、結局神田神保町の「研数学館」に決めた。
コース設定がきめ細やかなのと、歴史がある予備校(遠藤周作等が出身者)だったので、ここに決めた。
ちなみに研数学館は数年前に廃校になり、思い出のある校舎も一部が大正大学に、一部が居酒屋になっているようです。

高校の卒業式も終わり、皆それぞれ専門学校や就職への道を歩む中、予備校通いが始まった。

その4に続く


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最近、バーボンをロックで飲んでいます。
ロックアイスで飲むとうまい!冷蔵庫の氷とは違います。
ワイルドターキーがお気に入り。写真のボトルはカズオから広島行きの餞別代わりとしてもらったもの。ありがとう。
aikoの「カブトムシ」って歌いいね。これも最近のお気に入り。


at 02:51コメント(0) 

2005年09月17日

さて、大学受験を決意して中学一年の英語の参考書を買ってきたはいいが、大学受験レベルに到達するはずもない。そこで兄も通っていた一橋予備校の夏期講習(私立文系基礎コース)を申し込んだ。
数学は嫌いで日本史が好きだから文系。それだけの理由。
「中学高校無勉強者対象特別コース」なんてものは、あるはずがない。

はっきり言って「ちんぷんかんぷん」で苦痛だった・・・。
それでもちゃんと2週間通いましたよ。

現代文や日本史は何とか理解できるが、英語と古文は基礎力の無い今の実力では理解できるはずもない。
(特に古文は、高校の授業は出席してたけど勉強時間ゼロ!)

しかし大学受験レベルがどの程度のレベルかが分かっただけでも、通った甲斐があった。
何から手を付けていいのか分からないので、とりあえず高校の授業と定期テストを真面目に受けてみることにした。
今までの定期テストは毎回クラス43人中38?42番くらいだったから(ビリになったことはない)、下がることはないので気持ちも楽だ。

自慢では無いが、高校での成績は最悪で毎年留年の危機に立たされ、追試の追試でやっと3年生になれたようなものだった(ちなみにウチの高校は3年間で40名くらい中退・退学してた)。
でも、やれば出来ないことは無いと、勉強に対しては妙に自信があった。

1年から2年に進級するときに、数学の成績が最悪で(出席日数不足や定期テストの点数10点とか。プッ。)担任の先生が「このままでは進級できないから、3学期は数学の先生のところへ通って、自主的に課題を出して貰って、学年末テストを頑張りなさい」とのアドバイスを頂き、言われた通りに課題を出して貰って、試験勉強をしたら学年末テストの数学の成績がクラスで40番台から3番に上がった事がある(2年になって元に戻ってしまったが・・・)。
高校に2週間の受験勉強で入れた事や、こんな経験も、無謀なチャレンジを決意する要因になっていたかもしれない。「井の中の蛙大海を知らず」って事でしょう。

授業を真面目に受けて、初めて気付いたことがあった。
授業中のクラスが「うるさい」ことである。
ウチの高校は大学進学者が学年で数人で、後は専門学校・就職が殆どで、勉強に対してのモチベーションが低い生徒が多かった(自分もそうだったが)。
当然、授業中は席を勝手に移動して友達と話したり、漫画読んだり、弁当食べたり、やりたい放題だった。
東京都では、こういった都立高校を「教育困難校」として問題視していた。

真面目に勉強しようと思っている生徒には迷惑でしかない。
何回か「静かにしろ!」と怒鳴ったことがある(今まで一緒に騒いでいたクセに)。
でも仲間同士なので険悪な関係になる訳でもなく、皆、私を応援してくれてたので静かになった。

さて2学期から真面目に授業を受けて、定期テストもそれなりに試験勉強をしたところ。
2学期中間テスト(クラスで7番)
2学期期末テスト(クラスで1番)
と、結果を出せたので良かった(手前味噌でスイマセン)。

ひたすら暗記戦法だったから、本当の意味での実力は付いていなかったと思う。
大学受験レベルには、まだまだ基礎学力が足らない。
でも勉強のスタートとしては、十分やる気になったので良かった。

そして1992年が終わり、受験シーズンがやってきた。

その3に続く。


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今日から後期授業が始まってしまいました。
学食のAランチ(400円)。
かなりお腹いっぱいになる。

at 02:35コメント(2) 

2005年09月08日

後期の授業が始まる前に・・・
以前「あるバイク事故の記録(その5)」で予告していた「大学受験」の話を書きたいと思う。

高校3年になると「進路説明会」のようなものが毎月1回くらい高校で開催されていて、「大学進学」「専門学校進学」「就職」の3コースに分かれて説明を受けていたようだ。
私は「進路説明会」に一回も出席したことがない。
将来については、当時興味のあった「バイクか音楽」関係の専門学校にでも行くかと漠然と考えていたが、「一生の仕事にする程好きか?」と考えるとそれ程でもなく、進路について考えるのは後回しにしていたからだ。

高校3年の夏も近づき、そろそろ進路について本気になって考えなければならない時期に来ていた頃、バイクで事故を起こし大怪我をした。
中学高校と勉強は全くしなかったので、大学受験なんて夢にも思ってなかったけど、生まれ変わった気持ちで大学入学を目指そうと思った。
大学に入って何がしたいという目的があった訳ではなく、自分の力を試してみたいとの思いだけで決心した。
散々遊び回っていたので、今更勉強を始めることは現実的ではないと思っていたが、一度本気になって勉強してみたいとはどこかで思っていた。
その意味ではいいきっかけになったと思う。

決心したはいいが、改心を両親に説明しなければならない。
父は「今から現役合格は無理だろうから、浪人覚悟で頑張りなさい。経済的な事は心配しなくていいから。」と言ってくれた。
その言葉が一番大きかったと思う。

ともあれ何か勉強を始めなければならない。
本屋に行って買ってきたのは中学1年の英語の参考書・・・。

He likes music.(三人称が主語だと動詞が変化することを知った)
I like him.(目的語になるときはHeやSheやIが変化することを知った)
実話(それでも高校3年生)。

普通なら先が思いやられるが、ゼロから始めると逆に楽しかった。
「一つ一つやっていくしかねぇーや」と開き直り状態。

その2に続く


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実家から貰った「冷や麦」を自分で茹でてみた。
広島では「そうめん」が主流で「冷や麦」は殆ど食べないそうです。
本日の広島弁講座
「たいぎぃ」→めんどくさい。かったるい。
用法:「午後の授業ホンマたいぎぃのう」→午後の授業本当にかったるいねぇ。

at 02:55コメント(0) 
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