2011年07月29日

小学校の特別支援学級の介助員(その1)

久々に「バイト遍歴」カテゴリーの記事を書いてみようと思う。
多分、最後のバイトになると思う(笑)


平成20年7月から同22年3月まで、母校の小学校の特別支援学級の介助員のバイトをしていた。
特別支援学級というのは、ダウン症や広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群、多動性障害、知的障害など)の子供たちのクラス。
私が子供の頃は「身障学級」と呼んでいたが、法律が変わって、現在は「特別支援学級」と呼ばれている。
介助員の仕事は、子供達の勉強を手伝ったり、一緒に遊んだり、要するに学校生活全般において子供たちの世話をして先生の補助をする仕事。

平成20年6月に広島から品川の実家に戻り、暇な日々を送っていたが、近所の幼馴染みの寿司屋のT君が昼間に介助員のバイトしていることから、彼に誘われて、1度見学しに行くことになった。
というのは、特別支援学級の担任をしているホーガン先生が、T君と私が小学校2年の時に担任だった先生で(T君もその先生に誘われてバイトを始めた)、バイトするかどうかは別として、私も挨拶がてら1度見学しに行くことになったのである。
ホーガン先生(注:日本人)というのは、その風貌がプロレスラーのハルクホーガンに似てるのと、私が小6の時の夏の移動教室の際に、消灯後も寝ないでいるとフライングエルボをその先生からされたのとというだけで、隠語として使っている名前である。

前の日、T君の寿司屋で飲んだお酒が少し残る中、実家から徒歩30秒の小学校に見学へ。
私が小学生だった頃と違い、校庭の入り口は厳重にロックされており(大阪の池田小の事件の影響)、来意をインターフォンで告げてロックを解除してもらわなければ、学校に入れないようになっている。

ホーガン先生とT君がいる高学年クラスの国語の授業中にお邪魔して、後ろに座って見学する。
子供たちが興味深そうに私のことを眺めている。
授業の終わりにホーガン先生からスピーチを頼まれ、広島のことを話した。
広島のことで知っていることは?と質問したら「知らな~い」。
原爆の話しをしたら、皆「ぽかーん」としていた。

授業が終わると、5年生の男子2人から「遊ぼう」「給食食べて行くんでしょう?」と左右から腕組みされて、そのまま遊び部屋に拉致されてしまった。
33歳オッサン独身だと子供と接することはまずないので、どう接していいか分からない(言葉使いからして分からない)ので、何とも照れくさく、不思議な気分だった。
21年振りの小学校の給食をご馳走になり、帰る際には「また、来るんでしょう?」「次はいつ来るの?」と人懐っこい子供たちに囲まれる。
特に子供が好きという訳ではないし(むしろ、躾がされていない生意気なガキんちょは嫌い)、私のような素人でも出来る仕事なのか少し不安だったが、ホーガン先生から「もし良かったら、手伝ってくれ」と言われ、晴れてバイトをすることになった。

小学校との直接の契約ではなく、NPO法人から派遣という形のため、法務博士(笑)の履歴書を書いて、一応の面接を受けて、採用。
その年の司法試験に合格すると思っていたので、合格発表の9月までの3か月間ということは伝えておいた。

そんな訳で、介助員のバイトが始まった。

つづく

edo_yaroh at 15:12コメント(2)バイト遍歴  

コメント一覧

1. Posted by 焼鳥おやじ   2011年07月29日 21:48
おもろい!
続き楽しみにしてるよ~
2. Posted by 江戸野郎   2011年07月31日 02:05
ありがとうございます
字ばっかりになりますが、ぼちぼち書いていきます。

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