2004年12月18日


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昨日は運転免許の更新に鮫洲試験場まで行ってきました。
原付で20分程の距離。
建物内は全面禁煙に変わっていた。


これまでゴールド免許でしたが、今回は違反があるので一般免許になってしまいました。
今年2月の原付二段階右折違反が悔やまれる(分岐道かと思ってそのまま右折したら実は交差点だったとうマヌケな違反)。
違反回数1回かつ違反点数1点なので更新後も5年間有効。
ちなみに違反回数2回以上または違反点数4点以上だと3年間有効(今日覚えた)。

更新時講習は「一般」で1時間(優良=ゴールドは30分)。
1時間もツライなと思ったが、大助花子の大助似の教官の話は少し為になった。

鮫洲試験場では有名人と会うこともある。

高校生の時、バイク免許を取りに行った際には、元プロ野球選手の金田正一がいた。
サイン下さいと頼んだら、
金田氏「免許取りに来たの?」
私「はい、バイクの免許です」
金田氏「気を付けろよ?、危ないからな?」
と会話してくれた、気さくな人でした。
持っていた封筒の裏にサインをして貰っている途中で、金田氏のお付きの人が折角だからと白い紙を用意してくれて、それにサインしてもらった。
封筒の裏のサインは途中で終了。
金田正一の途中サインを持っているのは世界中で私だけでしょう。

大学生の時、免許更新に行った際には、「北の国から」の蛍役で有名な中嶋朋子がいた。
ソファーに座っていたら目の前に座っていた。
帽子に色眼鏡で明らかに変装?していたので声を掛けるのは遠慮した。

今日は、有名人は誰もいませんでした。

しかし免許証の私の顔が更新の度に大きくなっていくのは何故だろうか。
答えは簡単、体重が増えているからである。
前回の写真までは「兄さん」だったけど今回の写真は明らかに「おっさん」に近づいている。
そろそろ本格的に痩せるか・・・(前にも言ったけど)。


at 00:14コメント(0)ひとりごと 

2004年12月14日

初体験は、1999年の年末。痛かった・・・(何のこっちゃ)。
ブルマン氏に誘われ3泊4日で尾瀬戸倉に行ったのが最初。
最初の2日間は転びまくって全身筋肉痛で寝返りも出来ない程でした。
やっと3日目に何とかスムーズに滑ることが出来るようになりました。

初体験が日帰りだったらスノボー続けていたか分かりません。
集中的に練習して滑られるようになったのは、その後も続ける良い機会になったと思います(事実、スキーは単発的に日帰りで行ったので挫折しました)。

地獄?の合宿から戻って、正月明けに早速スノボーグッズを買いに行きました。
少し出来るようになったので自分の板で本格的に滑ってみたいと思ったからです。
板・ブーツ・バインディング・ワックス・ウェア上下・グローブ・ゴーグル等、いろいろ揃えなければなりません。
下手クソな癖に少し高価な板を買ったので総額13万円程。
あの頃はリッチだったなぁ・・・(仕事が忙しくてお金使う暇がなかっただけ)。

自分の板を買ってからは毎週のようにスノボーに行ってました(2000年の1~2月だけで5・6回)。
金曜の夜、仕事が終わってからブルマン氏とその友達数人に連れて行ってもらう。
夜中出発して湯沢に早朝着。リフトが動く時間まで仮眠。昼まで滑り夕方には東京へ戻る。
かなりハードでしたが凄く楽しかった。

そんだけ滑ったらもう脱初心者です。
3月に仕事先の方々と湯沢に2泊3日で行った時は、既に上級者面(?)でした。

スムーズに滑ることができるまでの時間は、結構個人差があるようです。
昨年1月に弟と日帰りで湯沢に行った際に、弟は初体験なのに半日でスムーズに滑ってました。
こればっかりはセンスの問題だと思います。
私は最初1本滑る度に缶ビールを飲んでいたので上達が遅れたのでしょう。
根気よく私に付き合ってくれたブルマン氏に感謝。

とにかく「遊びツール」が一つ増えたことは良いことです。
まだ未体験の方は是非チャレンジしてみてください。


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2003/1/29
湯沢パークスキー場にて
リフトで上に行くと景色が綺麗です


at 21:58コメント(0)ひとりごと 

2004年12月13日

昨日最終回でした。全話見ました。
京都に上るあたりまでの前半は、近藤勇役の香取慎吾の声の高さに違和感を覚えて余り面白くなかった。
後、史実と異なる創作部分にも違和感があった。
江戸の試衛館時代から坂本竜馬や桂小五郎と交流があったなんて、ちょっとね。

どうも大河ドラマは「利家とまつ」以後、シリアス路線からエンタメ路線になったようだ。
配役を見ても路線変更は明らかだ。
若い人向けに親近感を持たせようとしているのだろう。
しかし「独眼竜伊達政宗」や「武田信玄」のようにガチガチの歴史大河ドラマの方が、断然面白い。
エンタメ路線だと少年漫画を見ている様な気がする。

ある回のお話。
近藤が深雪太夫(優香)の身請け式?を行う日に、正妻のつね(田畑智子)が京都に来てしまう。
鉢合わせを回避するために大騒動、その舞台は伏見の寺田屋。
もうメチャクチャ。
この内容で一話分消化するなら、鳥羽伏見以後をもう一話増やした方がよっぽどいい。

いろいろ注文付けましたが、大河ドラマが放映されると、ゆかりのある各地でイベントが行われる事はよかったです。
資料館等の新選組特別展示を京都・日野・会津で見ました。

最後に
佐藤浩市の芹沢鴨は凄くよかった。
捨助(中村獅童)の意味わからん死は何だったのでしょうか?


at 23:57コメント(0)映画・ドラマ・本 

2004年12月08日

6~9年前の間のお話。
大学1年の冬休み、短期ではなく長期のバイトをしようと思った。
自宅からそう遠くない飲食店なんかを探した。

求人誌で見つけたのは某女子プロレス直営の焼肉店のオープニングスタッフの募集だった。
「週刊プロレス」を小6から買い続けている私としては非常に興味があった。
自宅からも自転車で5分の距離。

早速、面接に行き、即採用。
仕事内容は夜のホールスタッフと厨房補助。
バイキング形式の焼肉屋でオープン当初は行列ができる程、かなりの忙しさだった。
デビュー前後の新人女子レスラーも駆り出されて一緒に働いていた。
オープンの月は時給850円で10万円以上働いた。それ程忙しかった。

しばらくすると客足も落ち着き、土日以外は余り混まなくなった。
以後コンスタントに毎月5万円程の給料分バイトした。
バイト仲間は結構仲が良く、カラオケや飲み会を開いたこともあった。

オープンから1年経った頃より客足は目に見えて鈍くなってきた。
バイキング形式の焼肉というのは最初は物珍しいが、飽きてくる。
肉はお世辞にも良質とは言えなかったし、なにしろ接客がまずい。
元々プロレスが本業の会社なので、外食産業を行う上での従業員(社員)の教育が徹底していない。
最初こそ人的資源を投入して力を入れていたが、客足が鈍るにつれ働く従業員(社員)の質も落ちていった。
私はバイトなりに丁寧に仕事をしていた、と思う。
社員に意見を言ったこともあったが、バイトが会社のカルチャーを変えるのは難しい。

何だかんだ言って大学4年冬まで3年間もここでバイトした。
途中、会社が事実上の倒産で給料が遅配になったりしたけど・・・。

良いことも結構あった。
経営者一家の人が度々バイト後にラーメン屋に連れて行ってくれた事だ。
ビールと餃子をよくご馳走になった。
あと関係者のパスを貰ってプロレスを見に行ける事もよかった。
後楽園ホールなんて殆ど顔パス状態で入れる。
そこでもビールをご馳走してくれる。
気のいい経営者さん達でした。
そういった気前の良さがビジネスの世界では裏目に出たのかな。
でもビューティーペアやクラッシュギャルズを育てたんだから一時期は相当景気よかったと思う。

このバイト先のお店、とっくに無くなりました。
現在の経営状態は更に悪くなっているようです。→最近のニュース

おわり
バイト遍歴もこれでおしまい。
いろいろバイトしたと思っていたけど5つしかしてないのね。もっとバイトしたと思ってた。


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月一回お世話になっているお客さんの所への仕事帰りに渋谷で一枚。
井のヘッド線から山手線に乗り換え。
井のヘッドって呼ぶの私だけ?

at 01:33コメント(0)バイト遍歴 

2004年12月07日

10年前のお話。
一年間の浪人生活を経て晴れて大学生になった私。
暫くは頂いた入学祝いで食いつないでいたが、高価な時計やスーツを買ったら底をつき、夏休みに久しぶりにバイトをすることにした。
大学生のバイトというと家庭教師を思いつく人もいるだろうが、私に教えてもらいたい人はいない。

という訳でガテン系を探す。
求人誌で見つけたのは某大手宅配便の仕分け作業。
毎回大量に採用するので面接は勤務地とは別の大森のとあるビジネスホテルのセミナールームみたいな所で行われた。
型通りの面接後、即採用。未経験者は作業内容のビデオを見せられる。さすが大手、マニュアル化されている。

勤務地は大井ふ頭の物流倉庫。品川駅から専用バスで通う。
このバスの中は全員無言でかなり「労働者」っぽい雰囲気が感じられてブルジョワジーの私には馴染めなかった。なんか護送されている気分。

私の勤務時間は19時~23時。
22時までは「発送便」の仕分け作業である。次から次へとベルトコンベアーで運ばれてくる荷物を、各地方の方面毎のラックにテトリスの様に積んで行く。「天地無用」とか「こわれ物」とか有るので注意が必要だ。積み終わったラックを待機しているトラックの後ろに運び、新しいラックに取り替える。
結構な重労働である。Tシャツが汗でビショビショになるので着替えとタオルは必需品だ。
22時からは「到着便」の仕分け作業だ。全国から送られてくる荷物を?丁目まで細かく仕分けする。私はいつも自分の住んでいる地域の仕分けボックスに一目山に入った(早いもの順)。見慣れた住所の方が親近感があって楽だからである。

仕事が終わるとまた例のバスで護送されて深夜に帰宅。
私はバスの中では必ずウォークマンでTRFを聞いていたのを覚えている。
重労働だけあって時給はよかった。確か1,300円くらいだったか。一日4時間働いて5千円強。悪くない。

その日は突然やってきた。
いつもの様にTシャツで仕事に行くと、
「今日はクールお願いね」と涼しい顔で社員。
ラッキー!と思った。真夏の中、涼しい所で仕事ができるのは嬉しい。

しかしクール倉庫に行くと・・・。


寒い、寒すぎる・・・。


入り口にドカジャン(ボアの着いたナイロンのジャンバー)が何着か掛けてあったがクール野郎どもに先に取られてしまっていた。慣れた人はトレーナーやら着込んでいる。
知らなかったよ。事前に教えてくれたっていいのに(聞いてなかっただけかもしれないが)。
鳥肌と鼻水を垂らしながら4時間我慢した。
恐らく10度以下の部屋だろうから、仕事後、外に出たら温度差(外は30度以上)にクラクラした。

その日の帰りのバスの雰囲気が余計寒く感じられた。
以後、いつクールに回されるか分からないのでトレーナーを持って行く様にした。

結局、20日間程働いて辞めた(バスの雰囲気にどうしても馴染めなかった)。
今、古い通帳をみたら合計117,600円分ここでバイトしていた。
残業した日もあったのでその分プラスされているのだろう。

久々にTRFを聞くと今でも寒い夏の記憶が蘇る。

おわり
次回 焼肉屋編に続く


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日曜日に大岡山の「そば縁肆さか本」で食事。
店の雰囲気、料理ともに満足。おすすめです。


at 00:52コメント(0)バイト遍歴 
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